ピザと絵とダンス

先週見かけた紅葉へと移り変わる葉。とても淋しげで華やかで幻想的で…きれいでした。

 

その日は、クラスレッスンを行った後、関内で美味しいと有名なピザのお店に初めて行きました。

オープン直後に入って席に着くと、その後あっという間に満席!みなさんよく知っていらっしゃるのですね…!すごいなぁと感心しました。

 

カウンターに座っていたのですが、ピザを焼く石釜はその中にあり、ピザを焼いている方の作業がよく見えました。

すると、その方は、自然な呼吸で流れるようにリズム良く、こねる、のばす、生地を大きめのコテのような道具で釜に入れる、その後釜にピザを入れる道具だけを釜から出し、くるるるっ!と回してすちゃっ!と壁にかける、という動作を繰り返していました。

そのくるるっ!すちゃっ!の動作は直接には生地を焼くことに関係ないのですが、そこが!それが!もうなんとも美しいのです。


それは、一見無駄な動きのようですが、実は自分の無理のない呼吸と体内リズムと地球や宇宙とのリズム(例えば月の満ち欠けで、ある動物はたくさん生まれたり、また命をなくしたりします。気圧の関係で人の体調は悪くなったりもします。そういう、人の意志などを越えた地球や宇宙の物質的実際的エネルギーみたいなもののリズム)を感じ、一体化させているようで…。

そうすると、人は、美しいものや、美味しいもの、楽しいものや、時には淋しいものや幻想的なもの、人の心に身体に五感に六感にまで?届くかけがえのないもの、を創り出せるのだと思うのです…。

もちろんもちろんもちろん、そこに行き着くまでには血と汗と涙の自分や周りとの実際の努力と長い闘いがあるのだと思います。また闘い続けていないと色あせ、リズムは止まってしまうのだとも思います…。

 

ピザはもちろん、感動する美味しさでした。



今、母が絵の個展を開いているので、今日クラスの帰りに観に行って来ました。

その中で、一つの絵が、動めいて呼吸しているように感じ、また、すごくすごく涙が出そうに悲しくなりました。

モチーフは花ですし、特に悲しい題材ではなかったのですが。

 

「この絵、何かすごく悲しい思いで描いた?」

と母に聞いたら、昨年、亡くなった父へ、と届いたお花の箱を開けた直後に、そのお花を描いたんだ、と教えてくれました。

やっぱり…。父の感じもなんとなくなんとなくしたし、悲しさの深さが例えようもない感じでした。

 

でも、それは、悲しいのだけど、温かかった。

そういう、母の、言葉には表せない悲しみの呼吸みたいなものを一緒に感じられたことも、そのことで、少しは母の悲しみ(私は私で父の死は呆然とするほど悲しかったのだけど、母はもっとだろうと思い…)を分け合えたのかな…というところも…、そして母が絵という形に表した正直な言葉には変えられない何かも、それを感じさせてもらえたのも。

 

正直に素直に、は、また、呼吸やリズムとつくるものへの一体化につながり、その正直さも、呼吸も、人の心をお互いに温かくする他には換えられない幸せの元を創るのに必須だといつも思っているのだけど、ピザ屋さん、今日の母にも、それをまるごと感じさせてくれて、感謝…です。

 

でも、本当はそれは、そこここで、毎日感じています。

だから、そこここで毎日感謝します。


 

 

岩沢彩