ただただ現在の存在と不在とその周りにあること

スタジオの近く桜木町にいた雀。羽の模様と、たたずまいが美しくて見とれてしまいました。
スタジオの近く桜木町にいた雀。羽の模様と、たたずまいが美しくて見とれてしまいました。

蒸していますね。

 

気温は上がっていますが、まだまだ冷たい飲み物より温かい飲み物を身体の中からしみ込ませたいような冷え感があります。

 

駅の自動販売機にあるのはもう冷たい飲み物ばかりなので、電車に乗る前に必ずコンビニに寄ります。

売ってくれないかなぁ駅の自動販売機でも…!

と思うのはわたしだけなのでしょうか…(∵)

 

 

 

 

 

昨日のバレエのクラスでは、細部(例えばつま先や膝、腕の各関節などの身体の部分などなど)と全体像(その時はグランパデシャだったので、例えば、一番高く跳んだ時のポーズや音楽のリズムの取り方やメロディの感じ方捉え方や、もっと抽象的に明るいのかシャープなのか、その両方を有していながら繊細にして大胆なのか…♪などなど…)のイメージをもう少し明確に…、ということをお伝えしました。

 

何をするのでも、イメージ、重要ですね。

 

クリエーション(創造)はイマジネーション(想像)が育ったところにあると思います。

 

想像は、自身の感覚…自身の心や魂そのものを自分自身に感じる…ところから生まれると思います。

 

言葉で言うと難しいような感じがしますが、全然そんなことはなく、自分が、気持ちが良いか、楽しいか、なんだか不快…、しっくりこない、みたいなごくごくシンプルで単純な、本能的なところが根本で。

 

でも、ただそう感じる、というだけで終わらせるのではなく、じゃあなぜ、気持ちが良くて、なぜ不快なのか、をあらゆる角度、方向から、過去、現在、未来に渡って、様々に検証してみます。

そうすると、自分が本当に望んでいること、人の決めた価値やルールのような枠ではない、本当の自分の感覚、行きたいところ、が浮き彫りに…。

 

でも、その、感覚、というものは、絶えず、自分自身で身体を使って実践し、試しながら更新していかないと、新鮮さはなくなり、新鮮さという名の型、と化していきますね。

 

そうすると、こうあるべき、という自分でつくったしがらみにより、無意識に心身を拘束することになり、結果楽しくも気持ち良くもない、に。

 

それってもったいない!

自分自身で人生楽しみたい!

と思うのです…。

 

で、自分の感覚を大事にしていると、自分の心も大事になる、すると、人の心も大事になる。

けれど人の気持ちと自分の気持ちはもちろん違う。

(だから、傷つけたり傷ついたりすることもあるだろうけれど、自分が今どのような感覚、気持ち、心で、どのように思って考えて行動していて、それにより、例えば相手がいたらその相手はどのような気持ちになり、考えるか、を想像した上で、それでも、伝えたい、とか、行動したい、と思うなら、自分自身に後悔はしないですね。また、自身の感覚を大事にしているか、そこから考えているか、は相手にも理屈ではなく、伝わるもので…。いやいやだからっていつも慎重に!という型にはまると逆方向にもなり、そこで、また、感じる心、がまず先にあるのが大事で……。)

 

 

話は戻って…、感覚からのイマジネーション、からの、クリエーション、の中には、自由があり、発展があり、とても楽しい、です。

 

バレエのレッスンでも、ダンスのレッスンでも、また踊りを観る時にも、その他、日常のあらゆるシーンで、自身だけのイマジネーションからのクリエーションが、自分を、人生を、そこから周りを世界を、そこからからまた自分に戻って来て…と際限なくその環と進展は続き、届き、広がり、ますます楽しくなるのだと思います。

(クリエーションにまつわる思うことを以前ブログに書いたのですが、良かったらお読みください☆「ORIGINのRING」

 

 

私は今、主に、自分の作品について、そのイマジネーションからのクリエーションを苦しみつつ楽しみつつ生み出し中です( _ _ )

 

 

 

 

 岩沢彩

 

 

 

 

 

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