鳥や人や空と魚と

 春に向かって移りゆく季節の中、増える魚を目当てになのか、様々な鳥がたくさん集まっていた、スタジオ近くの川。

鳥も人も魚も川も海も空も…あらゆる自然は季節と共につながる時空を一緒に過ごしていますね。

 

*画像はカモメがちょうどかなり迫って飛んでいたところ!

かわいくて思わず笑顔になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週は、通常のバレエクラスの他、古典作品の特別クラスとして、「眠れる森の美女」より ‘リラの精’のバリエーションのレッスンと、コンテンポラリーダンスクラスも行いました。

 

続けている方の進歩、向上と、また初めての方の参加も嬉しかったです。

 

 

みなさん、よく、難しい、と仰いますが、そうお?という気持ちと、うんそうだよね、という気持ちと両方あります。

 

 

踊る、というのは自分の中にあることを表現することだと思います。

 

例えば、話す、や、書く、などと同じように。

 

その場合言葉を使うわけですが、物心ついた頃からあらゆる場面で日常的に使い続けている言葉でさえ、自分の心や魂などを含めた、本当に伝えたいことを伝えるのは、簡単なこと、ではなく。

その時その時の自分の心、相手の心、またその時のお互いの状態、や、周りのあらゆる状況(それはそのお互いの個人的な様々な状況とそこにつながる気候や気圧などの自然や、人がつくる社会の状況、情勢、またそこに影響が戻ってくる人や自然の状況など)を毎回感じ続け、必要だと思うこと(それは笑いだったり、励ましだったり、時に叱咤だったり、哀しみだったり…またその中の色や重さやそこにまつわる記憶や、そこから広がる想像なども様々でしょう)を言葉に換えて伝えるのだから。

もちろんそこまで意識して考えてはいなくても、多かれ少なかれ、そのようなことを人は絶えず感じ、また今までの経験によって培ってきたことによって判断し、言葉を選択し、コミュニケーションをとっているのだと思います。

 

で、踊る、という表現も同じで…。

 

でも、言葉と同じように、体を思うように扱えなければ、心や魂のような内なることを表現することは難しい。

から、自由に、多様に扱えるようにそのためのレッスンを積み重ねていくのですね。

それはどのような踊りでも、ですが、自分が何を表現したいのか伝えたいのか、によって、その内容も変わってきますね。

 

そしてどのような踊りにおいても完璧、というところはなく、生きる限り求めることはそれに比例して限りなく。

 

でも、その求める過程の冒険のような体験自体での新たな発見!もわくわくどきどき楽しいし、それを積み重ねた結果、中にある本当のところを感じてもらえ、伝えられた時の喜びは、その冒険の間に流した辛さのようなものなんて、圧倒的に超えるものになります(逆に、その目の前の辛さ……その多くは自分の弱さ、未熟さを直視することだと……から逃げれば、逃げた自分からは逃げられないから、その時の辛さよりも後から、もっと辛くなったりもするのでは…)。

 

ということで…文章の初めの方に戻りまして…難しい、という真摯に受け止めるからこその想いと、そこに同時にある楽しさ!はいつも心の中に同時に持っているのが大事!で、それを続けた先に見えることは素晴らしく…でもそこにはまた新たな難しさと、楽しさが限りなくあり、だからこそ、より一層喜びも大きくなり続けるのだと。

 

 

*画像は夜のクラスの後のスタジオから駅に向かう川の辺りの景色です。

昼間とはまた大分様子が違います。

 

 

 

日々、家族や色々な人や動物や自然の中で、力を受けて生きています。

踊りを通して。

 

この画像は、私が一日中クラスや振付で眠る間も食べる間もあまりないような日が続いた時に、夫が作ってくれたラーメン。

煮豚は2時間ほど煮込んで。

お肉の脂がちょっと苦手なので…そこは外しつつ…いただきました♪

美味しかった!

感謝!!

 

今はうちの猫が私の膝の上に乗って足をふみふみしています。

一緒に過ごしてくれる猫にも感謝!

 

 

明日も、自分の身体調整強化のエクササイズ、バレエのレッスン、クラスを行う、振付、と朝6時から夜9時まで、冒険と闘い(自分との)は続く!

 

 

そうして、また、一緒に様々に関わってくれる全ての方に、心から感謝の日々です。

 

 

 

 

岩沢彩