全て出すこと は 生きること で そのために力を付けたり蓄えたり そのやり方やペースは十人十色で…

日曜日もチャコットのみなさんとの発見あるクラスの時間を!

また来週も楽しくレッスンしましょう★

 

ところで、先日、横浜にてクラスを行った後の帰り道で、からすが遊んでいました。

というか、踊っていた…ように感じました。

ごはんも食べたし(いつものお食事場所と思われるところにいました)良い天気だし…を自然に表現した感じのちょっとスキップ的なステップに翼を少しひらひらさせての舞…という感じで。

からすやその他の鳥たちは、人間のことなど色々とよく見ていて、多くのほ乳類のように他者を意識していて、おそらく色々なことを感じ取っているようだ…と、たまに出会うといつも感じます。

他者を意識し感じると、それは自分の中にあることと共鳴したりもすれば、相容れなかったりすることもありますよね(否定したり嫌悪するというわけではなく、ただただ単純に、自分の中にある感覚と違うからなかなか理解しづらく、???となる、ということです)。

すると自我(本能)は高まり感情が生まれ、それはどのようにかして、やはり他者に、あるいはこの世界全体に向かって、表そうとする、出そうとする、ということがまた自然な生理現象でもあり。

(からすもそうして自然に身体に表された結果、ステップのようになったのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか…)

人間にとっても、それはやはり本能であり、生命力の元であり、業であり、DNA(その他いろいろな見方があり)であると思われ…。

そこで、人は会話をしたり、あらゆる表現方法を使って中にあるものを外に出して生きていて。

自分の中だけで溜めてはいられないのが、自然なんだと思います。

それが一方的であると相手が愉快ではなく、それを感じて表した側も結局愉快ではなく悲しい気持ち…。

だからと言ってただ迎合すると、その人の中の生きた心や魂みたいなものを閉じ込めていて、心も動いていないから、相手に伝わらないし、心が動いていないことが相手に自然に移り、相手もつまらないと感じ、やっぱり淋しい気持ち…。

 

その逆は…!嬉しく楽しく、とてもとてもしあわせな気持ち(言葉にはなかなか表せないような…)!!

 

人の場合は、出す、表現する、はコミュニケーションでもあり、そこで感じる人との共感や共鳴が、やすらぎや、逆に刺激となったりして、それも生きるのに必要な大事なエネルギーの源にもなりますね。

 

そしてその表現、コミュニケーションには答えはなく…。

どこにでも向かい、常に未知な即興であると共に、今までの人生の積み重ねが表されたものでもあり。

 

 

その全ては、踊りそのものであり、私にとって踊りに携わることであり、作品をつくることであり、人生を創造する、そしてただただシンプルに生きる、ということで…(その手段やペースやカラーなどなどは人それぞれ全員違っているのだと思います)。

 

 

簡単ではないけれど、恐れずチャレンジし続けていると、感動に出会い、心が震え躍る…という生きることまるごと…です。

そして、それは温かく豊かで、かけがえなくすてきな心持ちへと…。

だから、いつも色々と力をくれる家族や周りの方や、一緒に楽しんでくださる方々に本当に心から、様々に感謝します。

 

 

今日は振付、明日はバレエクラスを行います。

 

 

これからの今日も明日も楽しみです★

 

 

 

 

 

 岩沢彩