非数値化的アナログ的日々

この世の多様さというものが、時にものすごく自分を自由にもし、時に行く道を遮ることもあります。

 

でも、やっぱり人や動物や植物やそれが生まれ続けるこの世界全体が、好きなのですね。それ全部が自分自身でもあり…。

 

今、チャイコフスキー作曲の白鳥の湖の音楽で作品をつくっているのですが、作品をつくっている時には特に、自分自身の中にある感受する部屋のようなものがあったなら、その扉が常に全開になっていてその部屋は常にぱんぱんに様々なものが入っていますが、それは日常の言葉に換えるのではなく、その言葉も含めて全てまた作品にしたい、そしてそれを観てくださる方々の心に届くように昇華させたい、という想いがあり。

 

で、その作業は、もうそれはそれはアナログです。

 

例えば、数学で言えば、公式の中で何が起きているかは分からずとも、全て公式にあてはめて計算すれば答えが出るところ、それを一回一回、公式を使わず、そうなるにはこうなってこうなってこうなってと書き出してみて、何回も何回も実験などもしてみて…、と1週間とか時に1年とかかかるようなやり方です。

私は何においても、そういうやり方を好みます。

じゃあ日常において、例えば火を使う時に、木をすりあわせて起こすのか、というとそうではなく、ガスや水道など様々な人の力によって整備され敷かれているインフラをありがたく便利に使わせていただいております。感謝感謝です。

 

私がアナログにしたいのは、心、や魂などの、内面の交流が、直接強く関わることです。

 

だから、この世の見えない鎖にもなりうる常識やマナー、というものを、数学の公式を使うように、そこにただあてはめて、そこに沿うかどうかで、自分の行動を決めるのは好きではないです。

 

一つ一つ、自分の感覚、気持ちや感情などの心、突き動かされる元となるような魂みたいなもの…を毎瞬感じ取って、そこから毎回考えて、それを人に伝え、伝え合うための手段ややり方を少しずつ少しずつ丁寧に磨き、またそこで知る自分の弱さを恐れず、また進み、だから、人のことも受け入れることができて…。

そうやって、人やこの世界と様々にセッションをして生きるのが楽しい(そもそも、マナーや常識、という漠然とした概念は、そこから創られているはずです)。

 

でも、初めに書いたように、この世の多様さが、それを助けたり、より喜び深いものにすることもあれば、それを邪魔しようとすることもあるのだけれど、自分自身で感じ、考えて、選択していれば、人や状況のせいにしたくなることはなく、また、自分でどうにかこうにか切り開こう、と思えるし、そのように前を向いていると、それを一緒に楽しんでくれたり、声なき声も実際の話も聞いてくれたり、一緒に山登りみたいな、行程(登っている間)と結果(頂上の素晴らしい景色が眼前に)を楽しんでくれる人たちや猫もいて空はきれいで…!

 

本当にありがたいことだなぁと日々思い、また進むのでした。

 

最後はいつも感謝の気持ちを抱きます。

それがまた次へと進むための大きな原動力でもあります。

 

 

 

岩沢彩